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高松高等裁判所 昭和47年(く)20号 判決

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由については、抗告人田万廣文の申立書に、原決定は弁護人提出の意見書の吟味不足により重大なる誤審あるものと信じて即時抗告する旨の記載があるにとどまり(抗告人谷口繁義の申立書にも原決定に対し不服である、という以外の理由は記載されていない。)、原決定の理由中どの点に不服があるのか何ら具体的な記載がないが、おそらく原決定の事実認定全部につき、その誤認であることを主張しているものであると思料せられる。

ところで原決定は、本件再審請求の理由は次のようなものであるとし、一、真犯人の存在、二、手記五通の偽造、三、証二〇号国防色ズボンのすり替え、四、国防色ズボンに付着している血痕について、五、国防色ズボン付着の血痕の性別検査について、六、血痕足跡と短靴について、七、兇器の刺身包丁について、八、「二度突き」の自白について、九、本件は強盗事件ではない、一〇、八月一九日夜の実況見分について、一一、検察官に対する第四回自白調書について、一二、アリバイの成立、一三、公判不提出記録の紛失について、との一三項目にこれを要約して記載したうえ(決定書二枚目表一〇行目から六枚目裏二行目まで)、そのいちいちにつき詳細に判断している(決定書二五枚目裏四行目以下七一枚目表五行目まで)。そして原審弁護人提出の意見書は、右一三項目の事実中二、三、六、七、八、九、一〇、一一、一二について詳細に事実論を展開し、その主張のような事実が明らかである以上再審開始の決定をなすべきものである旨主張している。そこで当裁判所としては、まず右意見主張の事実につき、その当否を判断することとし、その記録(本件再審事件記録並びに抗告人谷口繁義に対する強盗殺人被告事件の確定記録―以下それぞれ再記録、原記録等と称す。)を精査し検討するに、右二、三、六、七、八、九、一〇、一一、一二についての原決定の事実認定、並びに、それに基づき再審を開始すべき事由の存在はついに認められない、とする判断は妥当であり、これを取消さなければならないような事実誤認の違法は発見できない。

なお付言するに、本件再審請求の理由については、その内容が必ずしも明確にされないまま審理が進行していたが、審理開始後一年以上を経過した昭和四五年五月二〇日再審請求書なる書面が請求人谷口繁義から提出され、それには本件再審の理由として、(一)請求人に対する強盗殺人被告事件の第一審判決において主たる証拠となつている昭和二五年八月二一日付検察官作成の第四回被疑者供述調書は、請求人の任意の供述を録取したものではなく、公務員がその職権を濫用して作成した内容虚偽の文書であるから刑訴法四三五条一号、七号に該当する。(二)同様第一審判決において証拠となつている証第二〇号国防色ズボンは、請求人が強盗傷人事件で三豊地区警察に逮捕された際押収せられ、その後還付を受けた証拠品である国防色下衣(還付を受けた後再び本件強盗殺人事件の証拠品として押収され、本件の証拠品となつた国防色下衣の意)ではない。請求人の兄谷口勉が支給を受けたもので、それとすりかえたものである。従つて右は刑訴法四三五条一号に該当する、との趣旨の記載が為されており、また右請求人提出の意見書(昭和四七年二月六日付)には、右二つの再審請求理由その他につき、さらに詳細な記載をしたうえ、右(一)は、前記供述調書を作成した検察官が、職務に関し刑法一五六条の虚偽公文書作成の罪を犯した場合であり、右(二)は、刑法一〇四条の証憑偽造罪に該当するが、いずれも犯罪につき公訴時効が完成し、犯人に対する有罪の確定判決を得ることができないので、刑訴法四三七条により、その事実を証明して再審を請求するものである旨が述べられているのである。以上のとおりであるから、右二、三、六、七、八、九、一〇、一一、一二の事由中再審の理由として直接判断すべきは三と一一のみであり、他はいずれもこれを判断するための間接的事実にすぎないものと考えられるのである。ところで右間接的事実のうち六は、犯行時に請求人が履いていたとせられる短靴が見せられたというのに、これが請求人に対する強盗殺人被告事件の公判(以下単に原公判と称す。)審理に証拠品として提出されなかつたのは、右短靴が犯行現場に遺留された血痕足跡と一致せず、これを提出すればむしろ無罪の証拠資料を提供することになるためである、との憶測を述べたものにすぎず、同七は、請求人が、犯行の帰途轟橋から財田川に投棄したと自白している刺身包丁がついに発見できなかつたというのは、右自白が虚偽で、投棄した事実が(ひいては請求人の犯行自体が)、なかつたからではなかろうか、との主張であり、同八は、請求人のいわゆる「二度突き」の自白(請求人が、香川重雄から現金一万三、〇〇〇円位を奪取した後、同人が生き返えらぬようにとその心臓部と思われるところを包丁で突き刺し、血が出なかつたので包丁を二、三寸抜いたのみで全部抜かず、刃先の方向を変えてさらに同じ深さ程度突き刺しとどめを刺した旨の自白)につき、検察官が、右自白は、被害者の左胸部の創傷が、外面では一個であるのに体内で二つに別れていること(原記録第一冊一四五丁、一四六丁参照)の理由を解明する注目すべき自白であり、請求人が右自白をした当時取調官は、右事実を知らず、後日遠藤中節の鑑定書が出てはじめてこれを知つたのであるから、取調官の誘導はあり得ず、右「二度突き」の自白は、真犯人でなければ知り得ない事実を任意に告白したものとしてもつとも信用すべきものである旨論告している(原記録第四冊四六丁以下)ことに対し、同自白は矢張り取調官の誘導による不任意の自白である旨反ばくしたにすぎないものであり、同九は、被害者の胴巻や財布に血痕が付着していないのは、その胴巻は、当初から香川の寝室の着物かけに吊つてあつたものであり(被害者が腹に巻いていた胴巻を、請求人がその結び目をほどいて引き出し、中から財布を取り出し、財布の中の現金を盗み、財布を元の様に胴巻に入れ、その胴巻を着物かけに吊つた旨の請求人の自白は虚偽であり)、犯人がこれらに手をかけていないためであり、また請求人が強取したとされている現金一万三、〇〇〇円の使途も明らかでなく、残金八、〇〇〇円を投棄した旨の請求人の自供は、真実とは認め難く、甚だ不可解である。本件殺人は、強盗の目的ではなく、その他の理由による単純殺人事件とみるべきである、との主張であり、同一〇は、請求人が昭和二五年八月一九日夜、検察官の指示によつて香川重雄方現場に連行された際、請求人は、同席の捜査官らに対し、右香川の胴巻を着物かけにかけたことを指示説明し、犯行の模様を実演したといわれているが(宮脇警察官の証言)、請求人にはそのような言動はなかつた、として右事実を否定するとともに、同夜の実況見分調書が作成されなかつた事実が、請求人に右のような言動のなかつたことを裏付けしている旨を主張するにすぎないものである。

そこで考えるに、なるほど右主張の中にふくまれている個々の事実(短靴が証拠品として提出されなかつたこと、刺身包丁が発見されなかつたこと、二度突きの自白が、取調官の誘導により得られた疑があること、胴巻や財布に血痕が付着していなかつたこと、強取したとされている現金の使途が明らかでなく、八、〇〇〇円投棄の自白が不可解であること、昭和二五年八月一九日夜の実況見分につき調書が作成されなかつたこと等)は、請求人の自白内容の真実性に或る程度疑問をいだかせるに足る事実であることは認められるけれども、そのために問題の昭和二五年八月二一日付検察官中村正成作成の第四回被疑者供述調書が、請求人ら主張のように犯罪により作成せられた虚偽公文書であるとはとうてい認め得ず、また前記一三項目中の二の手記五通の偽造についての前記意見書の主張が認められ、かつ、偽造の手記が素材となつて前記被疑者供述調書が勝手に作成されたものであることまで明らかになれば、本件再審請求はこれを認容さるべきものと考えられるけれども、原決定も述べているとおり、右手記五通の偽造が証明されたとはいえず(この点についてはなお後記)、この点も本件再審請求を支持する事由とはいえない。なお同一二のアリバイの主張については原決定も述べているとおり、原公判(第一、二審)で強く主張され、最も慎重に審理されたものであるのに拘らず、ついに認容されるにいたらず、原第二審判決はその理由を詳細に説示しているのであるから、同一証拠に基づき同様の主張をくりかえしてみてもその容れられないことは当然である。

一般に、刑訴法四三五条一号、七号の事実につき、確定判決により職務に関する犯罪等を証明し得ないため、同法四三七条によりその他の証拠でその事実を証明して再審の請求をする場合の証拠は、同法四三五条六号の場合と同様あらたな証拠でなければならないものというべきところ、以上の主張はすべて原記録中の証拠に依拠して(ただし手記五通の偽造については新証拠もあるが、その証拠によつても偽造は証明されない)請求人の捜査段階における自白内容の真実性を争うにすぎないものであり、請求人の有罪を支持する積極的証拠とこれに対する反証とが複雑に混在する原記録中の諸証拠を総合的に検討し、積極的証拠を信用すべきものとして採用して請求人に有罪を言渡し、その有罪判決が、控訴、上告を経て確定している現段階で、これを再び問題にし、右諸証拠の中から反証的部分を抽出して強調し、これと矛盾すること等を以て積極的証拠である自白調書の内容が虚偽であり、これを作成した検察官に虚偽公文書作成の犯罪が成立すると論じてみても、その容れられざるは当然である。

なお前記被疑者供述調書が、検察庁の調書用紙三三枚、総字数約一万三、〇〇〇余字の極めて膨大なもので、八月二一日の午後の半日足らずの短時間にこれを作成することは不可能であること、同調書で、請求人に展示し説明させたことになつている証拠物中、第一四号胴巻、第一五号財布、第一八号国防色上衣、第一九号白袴下、第二〇号国防色ズボン、第二一号国防色綾織上衣、第二二号ゴム製バンド、第二三号白木綿シヤツ、第二四号靴下の九品目は、その取調が行われたとされる昭和二五年八月二一日当時は鑑定のため岡山大学教授遠藤中節の手許にあり、取調場所である高瀬警部補派出所にはなかつたのであるから、これを展示することは不可能であつた等主張し右供述調書が虚偽文書である旨主張する向もある(弁護人矢野伊吉の抗告趣意書)。しかし証人高口義輝に対する尋問調書(再記録二八五丁以下)によると、検察官中村正成は、昭和二五年八月二一日付第四回被疑者供述調書を作成する以前に、数回請求人を取り調べてメモを作成し、その総仕上げとしてもう一度右メモに基づいて請求人を取り調べ、事実を再確認し、請求人が認めた範囲の事実を請求人の面前で立会の検察事務官に口授し、かくて右八月二一日付の供述調書が作成されたものであることが認められ、問題の調書作成以前に相当の準備があり、その調書が膨大であることは事実であるとしても、これを約半日で作成することは不可能ではなかつたものと考えられ、同調書が大部でよく出来すぎているというような理由だけで、これを請求人の供述に基づかず勝手に作成した虚偽公文書であるということはできない。

次に証拠品の展示の点であるが、この点は、原決定も解明不可能の部分がある旨述べているとおり、疑問の多い点である。たしかに昭和二五年第一八四号領置票謄本(再記録一九四丁以下)によると、前記供述調書で、展示した旨記載されている第一四、一五、一八、一九、二〇、二一、二二、二三、二四号の証拠品は、当時まだ鑑定中であり、検察庁へ送付されたのは八月二九日となつているので、これらを展示し、説明させた旨の右調書の記載には疑問があり、何かの間違いではないかとの考えも当然出てくるが、他方検察官が主張する「昭和二五年八月二三日に、請求人の勾留期間が満了するため、事前に請求人に対し、右証拠品を展示する必要から、特に警察官に対し、それらの証拠品を右岡山大学から高瀬警部補派出所に持ち帰るよう指示し、同月二一日以前に、これら証拠品が同所に持ち帰られ、中村検事が、第四回調書記載のとおりこれを請求人に展示した」との一時借用の事実も、岡山大学と高瀬警部補派出所との距離関係等から考え必ずしも有り得ないこととはいえず、右証拠品が八月二一日に高瀬警部補派出所に存在しなかつたという、いわゆる不在証明があつたとまではいえない。結局右証拠品展示に関する前記調書の記載には、解明できない疑問が残つているものの、それが虚偽公文書であるとの証明があつたとまではいえず、この点に関する弁護人の主張はこれを採用し得ない。

以上のとおりであつて、抗告人らの主張は、既存の証拠により前記供述調書の内容が不当である旨を論難するにすぎないことに帰着し、調書の作成者である中村検察官が、故意に虚偽公文書を作成した旨を立証するに足る新証拠は何も提出されておらず、これを理由とする再審請求は理由がない。

さて以上の判断のうち手記五通の偽造については、抗告人側が原審以来強く主張しているところでもあるので、ここに多少の蛇足を付加することとする。まず抗告人らが問題の手記五通が偽造であると主張する理由の一つに、手記五通は同一人により作成されたものではなく、その証拠には、右手記中第一人称の記載が「僕く」「和くし」「私し」等まちまちである等同一事項を表現するための使用文字に前後異同がある、というのがある。しかし同一人が前後して書いた文書のうち、或るものに誤字があつたり、一方は漢字で書き、他方は仮名で書いたり、或いはまた、一方は自己を「僕く」と表現し、他方は「私し」と表現したりしたとしても、必ずしもそれを異とするに足りないばかりでなく、鑑定人高村巌の鑑定書によると、右手記に使用されている文字のうち、「や」、「な」、「ふ」、「た」、「に」、「そ」、「ら」、「居」、「様」、「血」、「事」、「を」等の文字の運筆形態には極めて特長があることが認められるが、右手記五通を相互に比較検討すると、この五通の手記のすべてに共通して、「や」「な」「た」「に」「そ」「ら」「を」「居」等の文字が多数使用され、また第一、第二、第四、第五の各手記には「ふ」の文字が、第二、第三、第五の各手記には「血」の文字が、各使用され、以上の文字には、素人目によつても前記鑑定書の指摘する特異な運筆形態が、はつきりと共通して認められ、また右「居」の字は、文字の形態に同一特長があるばかりでなく、「何々している」「何々しておる」という場合の「いる」「おる」に必ずこの「居」の字が使用されていることが認められ、このような事実からしても右手記五通は同一人の作成したものと認むべきである。

然らば右手記は、請求人以外の何人かが偽造したものであろうか、この点につき原決定は、詳細にその理由を説明したうえ「請求人の手記五通が偽造されたという主張は採用できない」と結論しており、その説示には異論をさしはさむ余地はない。なお補足すると、鑑定人高村巌の鑑定の際、鑑定資料とせられた(21)、(24)、(25)、(26)の図面(図面の説明文字)は、原決定も指摘するとおり、手記五通と同一時期に書かれたもので、ともに鉛筆書きであること等から対照すべき筆跡としては最も適当なものであり、これが手記と同一筆跡である旨鑑定せられたことは注目すべきであり、請求人の、右(21)、(24)、(25)、(26)の図面はいずれも自分が書いたものではなく、署名も自分のものではない旨の供述(再記録八六二丁)は信用できず、右資料(21)、(24)、(25)、(26)と手記五通が同一筆跡であるという鑑定は、同手記が偽造でないことの有力な証拠である。なお念のために請求人名義の文書で、右手記の作成時期と比較的近い時期に作成され、前記鑑定の際鑑定資料とせられなかつた文書(ただし署名の部分のみが鑑定資料とせられた)があるので、これを手記と対照してみると、原記録中の、昭和二六年三月二日付求意見書に対する意見(三五四丁)に使用された文字中「血」、「な」、「ら」の三文字、および、同年五月二九日付求意見書に対する意見(三八〇丁)に使用された文字中「血」、「ら」、「ふ」の三文字に、前記手記中の同一文字の特長と同一特長が、素人目にも明らかに認められ、手記の筆跡と右意見の筆跡とは同一であると考えられる。

以上原決定の説示する事由、並びに当裁判所の右補足説明からして問題の手記五通につき、それが偽造であるとの証明があつたとはとうてい言えず、この点の主張は採用できない。

よつて次に「証二〇号国防色ズボンのすり替え」の主張について付言するに、同ズボンが、請求人に対する強盗殺人被告事件の証拠として第一審裁判所に提出されるまでの経過を時の順序に従つてたどつてみると、原決定の説示するとおり同ズボンは、

(1)  昭和二五年四月一二日、請求人より強盗傷人事件の証拠品として司法警察員藤堂輝雄に提出され、上衣とともに八号国防色上衣及下として領置された(原記録七四九丁)。

(2)  同年四月一四日、八号国防色上衣及下として検察庁に受入れされた(再記録一八六丁)。

(3)  同年五月一一日請求人に対する強盗傷人被告事件を審理する高松地方裁判所丸亀支部に同事件の証拠品として、番号一二号国防色上衣下衣として領置された(原記録七五〇丁ないし七五三丁)。

(4)  右強盗傷人被告事件の有罪判決確定後、警察を介して請求人に還付された(再記録一八九丁以下)。

(5)  右還付後の昭和二五年八月一日国防色綾織夏服外四点とともに、本件強盗殺人事件の証拠品として、司法警察員宮脇豊に提出され、番号四六号国防色下服の名称で領置された。なお国防色綾織夏服は番号四七号で領置され、従来国防色上衣下衣として同一番号で領置されていたものが、右のように四六号四七号と二つに別れて領置されることになつた(原記録一一八七丁以下、一一九二丁、再記録一八九丁以下)。

(6)  右同日岡山大学医学部法医学教室遠藤中節に対し、血痕付着の有無の検査依頼とともに交付された(原記録一五一丁)。

(7)  同年八月二三日検察庁へ符号二〇号国防色ズボンとして受入れ命令がなされ、現品は同月二九日送付された(再記録一九四丁以下)。

(8)  同年一一月六日の第一審第一回公判期日に前記高松地方裁判所丸亀支部に提出された。

証二〇号国防色ズボンは、以上のような経過で第一審裁判所に提出され、同ズボンには前記遠藤中節の検査の結果人血痕が付着していることが明らかとなり、さらに鑑定人古畑種基の鑑定の結果右人血痕の血液型は、被害者香川重雄の血液型と同じO型であることが明らかとなり、他方請求人が、昭和二五年八月一一日検察官に対し、香川方へ行つた際の服装として、従来ズボンは黒色のものと申していたのは間違いで、香川事件当日のズボンは、国防色の中古ズボンをはいて行つた旨供述し(原記録一二六六丁以下)、その後の同月二一日の取調の際にも、二〇号国防色ズボンを着用して当夜香川方へ行つた旨を供述しているので(原記録一三一四丁)、右国防色ズボンは、請求人に対する強盗殺人被告事件の有力な証拠となつたのであり、請求人が、同ズボンはすりかえられたものである旨主張し、同証拠品と同事件との関連性を断ち切ろうとした理由もそこにあるものと解せられる。

そこですりかえの事実の有無につき検討するに、前記のように第一審裁判所に提出された証二〇号国防色ズボンが、昭和二五年八月一日岡山大学医学部法医学教室の遠藤中節に交付され、血痕付着の有無についての検査が依頼された国防色下服と同一の物であることについては争いなく、また警察の手を離れて右遠藤の手に入つた後に検査の対象物をすりかえるということはとうてい考えられず、また検査の結果血痕が付着していることが判明したのに、それを他の物とすりかえるということはなおさら考えられないから、若しすりかえが為されたとすれば、遠藤中節に交付されるより前であるといわなければならない。ところがすりかえられたといわれる国防色下服が請求人から司法警察員宮脇豊に提出され領置されたのは前記のように遠藤中節に交付されたと同じ日の八月一日であると認められる。この点につき、弁護人田万廣文の意見書は、請求人が右国防色下服を宮脇豊に提出したのは、請求人の宮脇豊に対する第六回供述調書によれば八月二日であり、本件の証二〇号国防色ズボンは、その前日の八月一日に血痕の有無を検査するため遠藤中節に手交せられているので(遠藤中節提出の書面参照)、請求人の提出した国防色下服は、右証二〇号国防色ズボンとは別の物である旨主張する。しかし請求人の司法警察員宮脇豊に対する第六回供述調書の日付が八月二日となつているのは、八月一日の誤記であることは、同調書中に「私が当夜着て参りました服装で只今持つて居るものは、黒のゴムバンドと木綿長袖シヤツでありますので提出して置きます。この時司法警察員は提出にかかる二品を領置し、証第四四号第四三号とする旨告げた、」「只今戻して貰つた(還付品)一、軍手一足、二、鳥打帽子一、三、国防色綾織夏服上衣一枚、四、同下服一枚は、私が当夜着ていた上服もありますので全部提出して置きます。この時司法警察員は証第四五号同第四八号同第四七号同第四六号として領置する旨告げた」等の記載があり、ついで昭和二五年八月一日付司法警察員宮脇豊作成の領置調書に、請求人の差出した白木綿長袖シヤツ、ゴム製黒バンド、白木綿軍手、国防色下服、国防色綾織夏服、灰色鳥打帽子を順次四三号乃至四八号として同日領置した旨記載があり、さらに同年八月二六日付遠藤中節提出の書面に、同人が、白木綿シヤツ、ゴム製黒バンド、国防色下服等の物件外二点につき、同年八月一日国家地方警察香川県本部刑事部鑑識課長から血痕付着の有無を検査するよう依頼を受けた旨の記載がある、こと等により明らかであり、右国防色下服は、八月一日に宮脇豊に提出領置され、右ゴム製黒バンド等とともに即日岡山大学医学部遠藤中節に送付されたと考えざるを得ないのである。

以上のとおりであるから、かりに請求人およびその弁護人主張のように前記血痕検査の対象物たる国防色下服がすりかえられたものとすれば、その時期は八月一日であり、しかもそれは、請求人が国防色下服、ゴム製黒バンド等前記領置調書記載の物件を提出した後、遠藤中節がこれら物件を受領する直前までのわずか数時間ないし十数時間の間であるといわなければならない。

そしてさらに、捜査官が、請求人やその弁護人らが主張するような意図で「すりかえ」を行つたとするためには、請求人が提出した右国防色下服には人血痕の付着がなく、これとすりかえるため用意されたズボンには人血痕が付着していたこと、しかもその事実をすりかえの犯人が知つていたこと、なお請求人が右国防色下服の提出にあたつて、これを香川重雄殺害のとき着用していた旨自供していたこと等の事実が前提とならなければならないであろう。何となれば、請求人が、香川重雄殺害の際着用していたとして提出した国防色下服には血痕の付着がなく、それを知つた捜査官が、それでは請求人を右殺害の犯人とするのに都合が悪いので、別に用意した血痕付着のズボンとすりかえ、これを証拠に請求人が殺害犯人であるよう事件をでつちあげたというのが請求人らの主張の筋道であると思われるからである。しかし右のような前提事実についてはこれを認める証拠はなく、原決定も述べているとおり、請求人は、右国防色下服を提出する際「只今戻して貰つた軍手一足、鳥打帽子一、国防色綾織夏服上衣一枚、国防色下服一枚は、私が当夜着ていた上服もありますので全部提出しておきます」と述べており、上服については当夜着ていたとの自供はあるが、下服についてはそのような自供はなく、請求人は当時、犯行時に着用していたズボンにつき、海軍の黒サージズボン、海軍用ズボン、紺色毛織古ズボンなどと述べており、八月一日より後の八月四日にも黒いズボンと述べ、特に八月五日には、現に着用している黒木綿下服である旨述べてこれを提出し、その現物が領置されているのである。してみると請求人が提出した国防色下服は、当時としては香川重雄殺害事件と関連性のない物件であり、このような物件につき上記のような意図で「すりかえ」を行つたとは考えられないことになる。さらに国防色下服に付着していた血痕は、極めて微量であり、遠藤中節において科学的検査を行つた結果人血痕であることだけは判明したが、微量であるため血液型の検査を行うまでには至らなかつたことが明らかとなつており、このことからすると、右国防色下服の血痕は、捜査官において目で見ただけで人血痕と判るようなものでないことは明らかであり、従つて前記八月一日のわずかの間に、請求人提出の下服には人血痕の付着がなく、別に用意した下服には人血痕が付着していることが捜査官に判明したとは考えられない。そうだとすると「すりかえ」を行うことにより捜査官の希望する結果が出るかどうかは全く不明であるから、かかる「すりかえ」はしていないとの認定に傾かざるを得ないのである。むしろ仮に疑うとすれば、請求人は、右下服を香川方での犯行時に着用していたとは言つていなかつたものの、念のため捜査官は、これを遠藤中節に送つて検査を依頼したところ、人血痕付着の結果が出たので、それを知つた検察官は(正式の書面報告の出る前でも、口頭の報告等でそれを知ることはできる)、犯行時には黒いズボンをはいていた等の請求人の従前の供述は虚偽であり、実際は右国防色下服を着用していたものと想定し、請求人を誘導して質問した結果、前記八月一一日の供述(ズボンは黒色のものと申していたのは間違いで、香川事件当日のズボンは国防色の中古ズボンであつた旨の供述)を得たのではなかろうか、と考えられるのである。すなわちすりかわつたのはズボンの方ではなく、請求人の供述の方であるとする方が自然であると考えられるのである。

そこでさらに請求人やその弁護人らが、証二〇号国防色ズボンすりかえの主張をなすに至つた根拠について考えてみると、それは原公判で請求人が、右証二〇号を示され、「そのズボンは、私の弟孝のものですが、私がはいていたことはない」と述べたことと、請求人の父菊太郎、母ユカがいずれも右事件の証人として、「警察が、右国防色ズボンを押収したのは、請求人が神田農協における強盗傷人事件で逮捕された後、請求人宅で、その実弟孝が着用していたのを脱がせて提出させたものである」という趣旨の証言をしたことによるものである。しかるに右被告事件を審理した裁判所は、右証言や請求人の供述を信用せず、証二〇号をも証拠として援用したうえ、請求人を有罪として判決し、その判決が確定しているのであるから、すでに検討ずみの右証言等を再び持ち出して証二〇号のすりかえを主張してみても、その容れられないことは勿論であり、その主張を貫くにはその事実を立証できる新証拠を提出する必要があるものといわなければならない。

そこで新証拠につき検討するに、本件再審事件で原審が取調べた証人谷口孝は「兄繁義が神田農協での強盗事件で逮捕された後、警察官が家に来て、私がはいていたズボンを脱がせ、持つて帰つた。その時持つて帰つたズボンは、只今示された証二〇号国防色ズボンと同一である(証二〇号国防色ズボンを示し、これに見覚えがあるか、との問に対する答)。それが自分のズボンと同一である、と言えるわけは、あの頃のズボンは裾がダブルになつているのが普通でしたが、私のズボンは裾がダブルになつていませんでした。それからズボンの右前についているポケツトが真直ぐについております。普通このポケツトは斜についているのです。以上のことから証二〇号のズボンが、警察が脱がせて持ち帰つた私のズボンと同一である、と言えるのです」という趣旨の証言をしている。しかし右証言は、事件当時から二〇年近くもたつた後の証言であり、また証二〇号のズボンが自分のズボンと同一である理由として、そのズボンの裾がダブルになつていないこと、右前のポケツトが真直ぐについていること等の特徴を示した点を除いては、前記谷口菊太郎、谷口ユカらの証言の範囲を出ないものであり、右の裾がダブルになつていない等の特徴の一致だけで両者の同一性を立証することは困難であるので(右のような特徴は、谷口孝のズボンに限るということはとうてい言えない)、右証言はこれを十分信用できず、同証言だけで証二〇号国防色ズボンが、前記経過を経て請求人が提出したズボンではなく、谷口孝から押収したズボンとすりかえたものである、との事実を認定することはできず、その他この点を証明するに足る新証拠はない。

以上原決定が詳細に説示する事由、並びに当裁判所の右補足説明により証二〇号国防色ズボンすりかえの事実については、その証明のないことは明らかであり、この点につき原決定には事実誤認の違法はない。

なお本件については、本件抗告申立後の昭和四八年一〇月八日弁護人矢野伊吉より抗告趣意書と題する書面が提出されたが、その内容は、前記原審弁護人提出の意見書と大筋において異なるものではないと認められ、その理由のないことは、当裁判所の前記判断により、おのずから明らかであるから、同趣意書に対しこれ以上言及しないこととする(同弁護人については弁護士法二五条四号との関係で問題があり、ひいては同弁護人提出の書面についても有効かどうかの問題があるが、この点の検討はここではしないこととする。)。

さらに同弁護人は、昭和四九年一一月五日抗告趣意補充書と題する書面を提出し、前記手記五通が偽造である旨を強調しているが、そのうちやや目新しい主張としては、請求人の第二回手記は、八月二八日の作成にかかるものであり、従つて右第二回手記の内容につき記載のある問題の検察官作成第四回被疑者供述調書は、実際には八月二八日以後に作成されたものであり、同調書の作成日付が八月二一日となつているのは虚偽記載である旨の主張である。しかし第二回手記の原本の末尾には、昭和二十五年八月二十七日と一旦その作成日付を記載したうえ、「二十七日」の「二」の字を消し、その上に指印がしてあり、右指印は請求人の右手拇指のものと合致するのであるから(原記録一〇五四丁裏、再記録七三三丁以下)、最初記載した「二十七日」は誤記であり、それに気付いた請求人が、自ら、「十七日」と訂正したものと認めるのが相当であり、その作成日付は昭和二十五年八月十七日とする外なく、それが実際には八月二八日に作成せられたとする証拠は発見できない。弁護人は記録を読みちがえてかかる主張をしたものと考えられ右主張は採用できない。

次に弁護人小早川輝雄、同佐藤進、同佐野孝次、同赤松和彦は、共同作成名義で、昭和四九年一〇月一一日意見書と題する書面を提出しており、これにも多少目新しい、法律点および事実点についての主張があるので判断する(右書面の記載内容については記録に綴つてある同書面を引用する。)。

一  本件は刑訴法四三五条第七号同四三七条に該当する(検察官中村正成作成の昭和二五年八月二一日付被疑者供述調書の作成、行使は刑法一五六条同一五八条に該当する。)、との主張について。

この点については、前記のとおりすでに当裁判所の判断を示してあるが、右意見書に対応していささか補足説明をすることとする。

(一)  右供述調書で請求人に示したとされている証一四、一五、一八、一九、二〇、二一、二二、二三、二四の各証拠物件は、当時岡山大学において鑑定中であつたから、これを示したとする同調書の記載は虚偽である、との主張については、さきに当裁判所が示した判断のとおりであり、右意見書を精読しても右判断を変更する必要を認めない。

(二)  次に右供述調書によると、中村検事は、昭和二五年八月二一日請求人に対し、証拠物を示すに際し、検察庁の通し番号でこれを特定して示したことになつている。しかし右証拠物が三豊地区警察署より検察庁に送致され、受理のうえこれに検察庁の番号が付けられたのは同月二三日であるから、二一日当時中村検事は、請求人に対し証拠物を示しておらず、これを示した旨の同調書の記載は虚偽である、との主張について考えるに、なるほど昭和二五年八月二一日付中村検事作成の請求人に対する供述調書によると、同検事は、証一号から証二八号までの単なる番号を以て証拠物を特定したうえ二八個の物件を請求人に展示し、同人にそれがいかなる物であるかを説明させたことになつており(原記録一三一三丁以下)、他方検察庁の昭和二五年第一八四号領置票(再記録一九四丁以下)と、右物件を展示された際の請求人の説明とを比較対照すると、請求人は、検察庁が同月二三日送致を受けて、受入れ手続をし、証一号から証二八号までの通し番号を付した二八個の証拠物と同一の物件をその順序で示され、それにつき説明したものであることが認められる。しかしこのことから直ちに検察官が、証拠物を展示もしないで展示したような、内容虚偽の調書を作成したものと断ずることはできない。何となれば、右証拠物はまだ検察庁に送致されていなかつたけれども、中村検事は、三豊地区警察署高瀬警部補派出所に出張して請求人を取調べたものであり、同警部補派出所には、それまでに押収された多数の証拠物が存在し、同検事は、それを警察から借り受けて展示したものである、とも考えられるからである。このことは昭和二五年八月二十一日看守勤務巡査の留置人の言動に干する件と題する書面(原記録九九六丁)によつても或る程度推察することができるのであり、同書面には、午前中検事調べ及証拠品提出について、「人間も死んだらつまらんの」と繰返し、「飯がひとつも美味うない、あんなのは飯を食ふてから見せればよいのに」との記載がある。

このように、検察官において証拠物を示したこと自体が推測できるならば、調書上示した証拠物を特定する方法に問題があつても、敢てこれを違法とするに足りないものといわなければならないのである。察するに検察官は、警察官が集めた多数の証拠物の中から自己の判断で重要と思われるものを選び出し、これに対し一号から二八号までの仮の番号を付してこれを展示し、便宜調書の上でも番号で物件を特定し、これを展示したような記載になつたのではないかと考えられる。そして右展示された物件のみが八月二三日に検察庁に送致され、前記のように証一号ないし証二八号として受入れられたのではないかとも考えられる(なお検察官が展示した証拠物中の多数は、昭和二五年三月一日司法警察員三谷清美が行つた検証の際押収されたものであると考えられるが、同司法警察員作成の検証調書によると、証拠物件として香川重雄方から国防色リユツクサツク、斗棒等何点かが押収されたことが認められるが、同調書には「……斗棒一本他 点を別紙押収目録の通り押収した」との記載はあるが、かんじんの別紙押収目録がなく、―原記録七九丁―、右三谷清美は右目録を作成しないまま広島管区警察学校に入校したので―再記録三七一丁―、検察官が請求人に示した物件中の多数に警察の押収番号の記載もなく、そのこともあつて検察官は、右のような仮の一連番号を付したのではなかろうか、とも想像される。)。

以上のとおりであつて右意見書が主張するような事由では、未だ前記供述調書が、検察官の犯罪により作成された虚偽公文書である、との証明があつたものとはいえない。

(三)  次に右供述調書は、その質、量、作成時間から考慮して、昭和二五年八月二一日に作成されたとは考えられない、との主張については、さきに当裁判所が判断したことからその理由のないことはおのずから明らかである。ただ一言付加すると、さきの昭和二五年八月二十一日看守勤務巡査の留置人の言動に干する件と題する書面によると、請求人に対する取調べは、午前中からはじめられたのではないかと考えられ、証人高口義輝の証言は一部間違つており(午後から取調べがはじまつたとする部分)、同証言による取調べ時間よりは、もつと長時間取調べが行われたのではないかと考えられる。結局右調書の質が充実したもので、量が膨大であるから一日で仕上つたものでなく、作成日付が虚偽である、との主張は採用できない。

(四)  証拠物展示との関係で、右供述調書の作成日付は虚偽であり、日付をさかのぼらせたものであるとの主張の理由のないことは、証拠物展示の事実の有無に関する前記説示によりおのずから明らかであり、採用できない。

二  原裁判所は再審審判手続に関する法解釈を誤り、再審理由についてその実体的審理にまで立ち入り、数々の疑問を残しつつ証拠がないとして再審請求を棄却したのは違法であり、原決定を取消して再審を開始すべきである、との主張について。右主張は再審手続における審判の対象は何か、という点に帰するものと思われるが、若し論旨がいうように、再審を開始すべきかどうかを判断するについては、再審申立が形式的に適法かどうかのみを判断すればよい、ということであれば、刑訴法が、何ゆえ再審の請求が法令上の方式に違反し、又は請求権の消滅後にされたものであることを理由とする四四六条の請求棄却の決定と、再審の請求が理由のないことによる四四七条の請求棄却の決定との二つを規定したのか、その理解に苦しむことになる。また刑訴規則二八三条は「再審の請求をするには、その趣意書に原判決の謄本、証拠書類及び証拠物を添えてこれを管轄裁判所に差し出さなければならない。」と規定し、さらに刑訴法四四五条は「再審の請求を受けた裁判所は、必要があるときは、合議体の構成員に再審の請求の理由について事実の取調べをさせ、又は地方裁判所、家庭裁判所若しくは簡易裁判所の裁判官にこれを嘱託することができる。」と規定しているが、これらの規定は一体何を意味することになるのであろうか、おもうに再審手続における審判の対象は、刑訴法四三五条、四三六条、四三七条等に規定された再審理由のいずれかに該当するとして主張された事実の存否であり、その主張事実を立証させるため、再審の請求には、その趣意書の外証拠書類及び証拠物等を添付すべきものとし、また再審請求の理由につき、実体的審理をさせるため、右理由についての事実の取調べにつきわざわざ規定が置かれているのである。そしてこのような規定により、請求人の提出した証拠書類及び証拠物を取調べたり、裁判所が職権でその他の事実の取調べをしたりして、なお再審の請求が理由がないときは、決定でこれを棄却すべし、としたのが刑訴法四四七条一項であり、右のように実体的審理を経たうえ棄却せられた場合には、再び同一理由により再審の請求をすることはできない、としたのが同条二項である(単に形式的に違法であるとして再審の請求が棄却せられた場合にはかかる制限はない。)。

右の次第で原裁判所が、再審理由の存否につき実体的に審判したのは当然であり、これを違法と主張し、原決定の取消しを求める抗告趣意は、これを採用することができない。

おおよそ裁判において、或る法律要件に適合した主張事実さえ述べておけば、その事実の有無につき何等の審理を経ることもなく、その主張が認められ、その要件に対応した効果を与える旨の裁判が為されることはあり得ず、再審手続においても同様である。従つてその主張事実の存否につき審理を受け、それが証明されてはじめてその主張に対応した再審開始の決定が受けられるのである。問題はその証明の程度であるが、あまり高い程度の証明を要求すると再審の門が狭くなり、誤判によつて有罪の確定判決を受けた者の救済という再審制度の目的が阻害されるおそれがないとはいえない。論旨はこれを強調するものであり、証明度の低いものを以つても再審の門を通すべきものであるという趣旨にも受けとれる。

そこで付言するが、本件は、原判決の証拠となつた証拠書類である請求人の検察官中村正成に対する昭和二五年八月二十一日付被疑者供述調書が、内容虚偽の公文書であり、同検察官は同調書作成、提出に関し刑法一五六条、同一五八条の罪を犯したものであることを主張するものであり、これを証明する資料として確定判決があるわけではなく、それ以外の証拠により右の犯罪事実を証明すべき場合であるところ(刑訴法四三七条の、その事実を証明して再審の請求をすることができるとある、その事実のうちには、請求者主張の犯罪事実がふくまれていることは勿論である。)、いやしくも確定判決にかえて他の資料によりこれを証明するという以上、右の証拠資料は相当高度の証明力を有するものであることを要し、罪を犯したとされる本人に対し、わずかな嫌疑を生ぜしめる程度のものでは足りず、裁判所をして右本人が問題の犯罪を犯したことは間違いないとの心証を得させる程度のものであることを必要とするものといわなければならない(少くとも、仮にこの事件を起訴したならば、有罪判決を得られる見込みが十分であると考える程度の心証を得させるものであることを要するであろう。)。しかるに本件における犯罪事実の証明は、とうていこの程度に至つていないものというべく、原決定が、多少の解明できない疑問を残しつつ、結局再審理由の証明がないとして、本件再審請求を棄却したのは相当である。

三  最後に右意見書は、再審制度の本質から考えて無罪の者は救済されなければならないのである。再審裁判所は新証拠によらずとも、これまでの一切の訴訟資料のもとに、明らかに無罪と思われる事件については再審を開始すべきである旨主張し、原記録によれば本件は無罪であるから原決定は取消を免れない旨論じているが、当裁判所としては現行法にないかかる超法規的主張を採用することはできない。

以上のとおり本件抗告はその理由がないものというべきであるのでこれを棄却することとし、刑訴法四二六条一項後段により主文のとおり決定する。

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